こんにちは、木多崇将です。

前回、

「使命を見つけるための具体的な方法論」

の話として、

「死に方を決めることが大事だ」

と言う話をしました。

私たちは、必ず死ぬのです。

だから、人生のゴールは「死」なのです。

なのに、現代人は、死についてまったく考えない。

これは、旅行で行き先を決めないのと同じことです。

どこへ向かえばいいか、
何をすればいいのかわからなくて、当然です。

逆に言えば、ゴールさえ決まれば、
すべてが決まるのです。

例えば、ハワイへ行くと決まれば、
パスポートと、Tシャツと、短パンと、
水着と、サンダルが必要・・・、という感じで、
必然的に、準備するものが決まってくるのです。

例えば、家族に見守られて死にたいと思えば、
父親でも子育てをするのが当たり前になるのです。

ある人が、

「街行く老人たちを見ると、
中身が空っぽな余生を送ってるなと思います」

という感想を送ってくれました。

これはまさに今の老人たちが、死に方に
ついてまったく考えていないからです。

幸せ思想、長寿思想に侵されて、カラオケして、
ステーキを食って、100歳まで生きることばかりが
生きがいになっているからです。

だから、死に方について考えること、
死生観を持つことは、現代人にとって本当に大事だと、
認識しておいてください。

「もしかしたら、今日、私は死ぬかも・・・」

と、思うだけで、人生変わります。

それで、今回は、引き続いて、もう1つ、
使命を見つけるために、必要な知識について
話をしておきたいと思います。

日本人は、今日、これから話す概念に対して、
まったく正しい認識を持っていません。

それが、使命に生きることができない
大きな理由になっています。

その概念を先に言っておくんですけど、
それは・・・

【宗教】

です。

日本人の多くは、宗教に対して、
良いイメージを持っていないと思います。

これは、明らかに、
オウム真理教の影響が強くあると思います。

1988年から1995年くらいにかけて
教祖の麻原彰晃を盲信した信者たちが、
地下鉄に、猛毒のサリンを撒き散らして、
殺人を犯した事件は、衝撃的でした。

「宗教にハマってしまうと、あれだけ高学歴で
賢い人たちが、馬鹿な殺人事件を犯してしまうのか。
おそろしい・・・」

と、感じた人が多かったと思います。

また、イスラム教徒が、頻繁に、
テロ行為を起こしていることに関しても、

「宗教を信じているから、
あんな暴力的な行為をするんだ・・・」

と、解釈している人も多いように思います。

イスラム教徒が、テロばかり起こすのは、
複雑な事情があり、宗教が悪いということには
つながりません。

(アメリカが独裁をするから、
暴力に訴える他なくなっているだけ)

ただ、イスラム教のテロのイメージによって、
日本人の多くは、宗教にマイナスイメージを
持っていると思います。

また、

「家族がカルト宗教にハマって困っている・・・」

というような話も、チラホラ聞くことが多いです。

とにかく、日本では、宗教にマイナスイメージが
ついていて、それゆえ、よく世間では、

「私は無宗教です」

とか、

「私は、特別、何も信仰していません」

と言う人が多くいます。

僕も、数年前まで、

「家は、仏教を信仰していることになっているけど、
僕は、無宗教です」

と言っていました。

要するに、世間では、

「無宗教なのが、良いことだ」

みたいに考えている傾向があるように思います。

偏った信仰がある人は異常者。

例えば、ちょっとでも、
偏った意見を言おうものなら、

「お前、変な宗教にでも入ったの?」

と、相手を茶化したり、
小馬鹿にするために用いられることの方が多い。

とにかく、日本において宗教というものは、
良くないものとして扱われていると思います。

また、そもそも、一般人の会話の中で、
宗教について話題に登ることなどほとんどありません。

宗教の話題は、タブーだとされていて、触れたり、
口にしてはいけないものだとされてさえいます。

しかし、この日本において、

【この宗教のぞんざいな扱いこそが、
私たち、日本人が、使命の見つからない大きな原因】

になっているのです。

結論を先に言っておくと、
宗教、並びに、信仰というものは、善悪を超えたもの。

人間にとって、必要不可欠なものなのです。

そして、宗教、信仰とは、

【私たちの人生に、
大いなる力(パワー)を与えてくれるもの】

なのです。

生命を躍動させて生きるためには、
キラキラと輝いた生き方をするには
宗教、並びに、信仰は必要不可欠なのです。

はっきり言って、現代人は、宗教観を失っているから、
つまらない生き方になっていると言っても
過言ではないのです。

今日は、
宗教の必要性について詳しく話したいと思います。

まず、想像してください。

あなたの財布に、
いくらかお金が入っていると思います。

あなたは、財布に入っている小銭を掴んで、
投げ捨てることができるでしょうか?

千円札、1万円札に火をつけて、
燃やすことができるでしょうか?

・・・・・

・・・・・

・・・・・

おそらく、
ほとんどの人はできないと思います。

その理由は、お金には、
価値があると”信じているから”だと思います。

宗教の意味を調べてみると、

【神、または、何らかの優れていて、尊く、
神聖なものに関する信仰】

とあります。

つまり、宗教は、必ずしも、
神だけを信仰するものではない、ということです。

また、信仰の意味を調べてみると、

【特定の対象を絶対として信じて疑わないこと】

とあります。

これらの意味からすれば、現代人の多くは、

【お金宗教の信者】

だと言えると思います。

少なくとも、お金というものを神のごとく崇めて、
信じて疑っていないと思います。

冒頭に話したように、日本人の多くは、
宗教に悪いイメージを持っています。

「私は無宗教です」

と言う人が、たくさんいます。

しかし、実は、無宗教の人も、
無信仰な人も存在しないのです。

人間は、必ず、何かしら自分以外の崇高なる存在を、
神様のように崇めているものなのです。

日本人の内、99%の人は、
間違いなくお金宗教の信者なのです。

また、例えば、僕の話を聞く前に、

「幸福になろうとするのは当然のこと!」

「差別は絶対ダメ!
平等であることは大切なことだ!」

と、思い込んでいた人が多いと思います。

こう思い込んでいる人も、はっきり言って、
幸福宗教、平等宗教の信者と言っても
過言ではないのです。

勘違いして欲しくないので、
先に強く言っておくんですけど、僕は

「宗教はダメ。信仰がダメだ」

ということを、言いたいのではありません。

宗教、信仰は自由であり、
何を信じてもいいと僕は考えています。

ただ、1つだけ必要なことがあって、それは

【個人個人が、自分が何を信仰しているのかを、
はっきりと自覚する。できれば、公表すること】

です。

例えば、

「私はお金が大好きです!」

と言って、がめつくお金を集めている人がいても、
それは素晴らしいこととは言えなくても、まあ、
そこまで社会の問題にはならないと思います。

しかし、

「お金は汚いものです。お金なんて私はいりません。
愛さえあれば十分です!」

と、綺麗事を言いながら、実は、
お金が大好きのような人は、言わば嘘を
ついているから、困りものだと思います。

例えば、政治家なんてものは、この典型だと思います。

政治には、お金がつきものです。

だから、しょうがない部分はあるんですけど、
お金信者のはずなのに、お金に興味がないふりをして
いる政治家は、褒められたものではないと思います。

また、例えば、表向きは、障害者の自立を促す、
正しいことをしているような社会福祉団体。

しかし、障害者を自立させると補助金が
もらえなくなるから、むしろ、障害者の自立を
阻害しているような社会福祉団体も多数あります。

こういう信念に沿っていないことをしている団体も、
困りものだと思います。

要するに、今、
日本社会では、宗教観がなくなっています。

それゆえ、みんなが、それぞれ、

「私はこの宗教に入っている」

とか、

「こういう主義、思想、信仰をしている」

という自覚もしないし、
まして、正しく公表もしません。

これが、日本社会で、
色々な問題を起こしているように思います。

例えば、多くの日本人が、無自覚で、
入信している宗教の1つに民主主義があります。

「ん?民主主義の宗教に入信?
民主主義は、そもそも宗教じゃないだろ?」

と、あなたは、意味がわからないと思います。

しかし、多くの日本人は、

「人民に主権がある民主主義は、
日本の政治制度で、これは素晴らしい制度だ」

と、なんとなく思い込んでいると思います。

例えば、

「明日から、政治制度を封建制度に変えまーす!」

なんて言われたら、反対する人が多いはずです。

だから、言わば、多くの日本人は、無自覚で、

【人民が主権である制度】

つまり、

【民主主義と言う宗教】

に入信している、信者であるような状況なのです。

繰り返しますが、僕は宗教を持つこと、
信仰自体は、まったく否定しません。

むしろ、後で説明するんですけど、
思いっきり推奨しています。

だから、日本人が、

「私は、国民が主権である、
民主主義という制度が素晴らしいと信じている」

と自覚して、民主主義のことを
詳しく理解していれば、本来、問題ありません。

実際、民主主義は、
仕組み自体は理想的なものなのです。

しかし、現実的に、多くの日本人は、
民主主義のことをまったく理解していません。

例えば、子供に、

「ねえねえ、民主主義って何なの?」

と聞かれた時、民主主義の歴史とか、仕組みとか、
制度のメリット、デメリットなど話せる大人は、
ほとんどいないでしょう。

実際、日本人の多くが、民主主義が正しいと
信じていながら、中身に対しては、まったくの無知。

そのために、民主主義は、
「民衆のために!」と語っている権力者と、
1つの政党の独裁でしかなくなっているのです。

例えば、日本では、自民党の独裁が、
もう長くずっと続いてますよね?

そんな、まともに機能していない民主主義を
信じているとしたら、それは、カルト宗教を
盲信している信者が如くです。

麻原彰晃を信じて、犯罪を犯したオウム真理教の
信者と、本質的には、まったく同じ状況なのです。

現実的に、今、民主主義という宗教を
盲信している人たちによって、
日本はドンドン悪くなっているのです。

例えば、「10万円の給付金」
なんて愚策が出ること自体。

もう、民主主義が崩壊しているからに、
他ならないのです。

今回、説明した民主主義宗教と、
これまで僕が説明してきた、
幸福宗教、平等宗教以外に。

まだ、後7、8個ほど、多くの日本人が、無自覚に
信仰している宗教があります。

日本人の多くが無自覚で、

「これは絶対に正しい!」

と、盲信している思想、主義が存在しているのです。

例えば、ちらっとだけ言っておくと、

「成功思想(宗教)」

「進化思想(宗教)」

「平和思想(宗教)」

などです。

あなたは、

「成功したい!」

「進化は素晴らしいこと!」

「平和が一番!」

なんて信じ切っていませんか?

しかし、

「じゃあ、なぜ、進化が正しいと
信じているのか説明して?」

と言われた、
口をつぐんでしまうはずだと思うのです。

偉そうに言っていますが、僕自身も、

「成功思想(宗教)」

「進化思想(宗教)」

「平和思想(宗教)」

これらの間違いに気づいたのは、
ここ数年のことでしかないのです。

いいですか?

信仰の対象がはっきりしていないものを
たくさん盲信しておいて、
自分軸を持って、迷わずに生きることなど
絶対に、できるはずがないのです。

例えば、

「なぜ、成功したいのか?」

という意味もわからず成功しても、

「あれ?成功して、この後、何するの?」

と、当然、なるのです。

実際、僕も含め、多くの起業家が、
経済的な成功を掴んだ後、
進むべき道を見失っています。

成功宗教に侵されているから、高級車を買ったり、
引退して遊び呆けたり、美味いものばかり食ったり
するようなことだけ続けている人が多いのです。

つまり、成功宗教こそが、
崇高な使命に従って生きること、
命を燃やして生きることの邪魔をしているのです。

多くの人がいくら自己啓発本を読んだところで、
色々な経験をしたところで、自分らしい生き方が
見つからないのも、無意識、無自覚で入信している
カルト宗教がたくさんあるからなのです。

あなたは、この話が、本当だとしたら、最低でも、
自分が入信しているかもしれないカルト宗教の
存在だけでも、知っておかないといけないと
思いませんか?

とりあえず、
入信している宗教を全部把握した上で、

「この先、入信し続けるか?脱会するか?」

を、検討したいと思わないでしょうか?

また、日本人は、根本的に、

【信仰には大いなる力が
秘められていることを知らないといけない】

と、僕は強く感じています。

例えば、多くの人は、
お金を神のように崇めているからこそ、
どれだけ嫌でもお金のために一生懸命働いています。

「お金がありさえすれば、私は幸せになれる」

と、みんな、心の底から信じ切っている。

お金を信じる力が、圧倒的な行動エネルギーを
生み出していることは、疑いようがないと思います。

ただ、日本人は、そもそも、西洋人に比べて、
信仰の力が弱いとされています。

例えば、西洋人は、歴史上、
キリスト教信仰が強くありました。

それゆえ、西洋人は、
信仰力が強い、高い傾向があるそうです。

なぜなら、キリスト教とは、

「天国に行くために、現世を捨てろ。
家族すらも捨てろ」

というような教えだからです。

ものすごく理不尽なこと、
不合理なことを信じろ、
というのがキリスト教なのです。

ただ、こうやって理不尽なことを信じることこそが、
大きな力を生み出すのです。

今世紀、西洋文明が、特に、アメリカ文明が、
世界を制覇している、支配ができたのは、
キリスト教の信仰の力が根源にあるのです。

そして、今、西洋文明、アメリカ文明も
衰退の傾向があるのも、キリスト教の信仰が
薄れてきていることにあるのです。

ちょっとわかりずらいかもしれないんですけど、
キリスト教信仰によって、世界を制覇するほどの力が
生み出されたということです。

だから、信仰というものは、
あなたが考えている以上に、
大いなる力を生み出すものなのです。

また、例えば、「思考は現実化する」とか、
「引き寄せの法則」のように、
思ったことが現実化するという話があると思います。

この話を、いまだに、
信じられていない人が多いと思います。

しかし、

【量子論によって、信じたことが現実化することは、
もう科学的に証明されている】

のです。

量子論の話は、いつか詳しく話したいんですけど、
自分の信じた願いは、波動となって、時間を置いて、
現実化、物質化することが、量子論という科学的学問の
実験で証明されているそうなのです。

そういう証明があるのに、

「宗教なんか胡散臭い」

「信仰なんてものは必要ない!」

と、考えていることことは、あまりにも時代遅れです。

むしろ、日本人の中には、
宗教や信仰を馬鹿にしながら、

「私は自分に自信がありません。
私には長所が1つもありません」

と言って、自分に自信がないことを、
100%で信じ切って、ダメな自分を、
現実化させているような人がゴロゴロいるのです。

宗教、信仰の神秘的な力を、
逆作用で使っている人が本当に多くいます。

だから、あなたは、今日から、最低限、
宗教を良くないもの、
タブー視するような意識をやめてください。

結局、人間は、何かしら自分以外の
崇高なるものを無意識で信じてしまうのです。

「幸せになることが最高のことだ!」

と、深く考えず、思い込んだりしてしまうのです。

だとしたら、無意識ではなく、意識的に、
自分の信仰を決めた方がいいと思いませんか?

例えば、僕が、ちょっと世間一般とは
違う意見を言えば、すぐに、

「それはおかしい」

「お前は間違っている」

という人たちがいます。

しかし、世間一般の意見というのは、
マスコミによって作られたものです。

だから、世間一般論を信じている人は、
僕から言えば、マスコミ宗教の信者にすぎません。

また、テレビに出ている専門家、権威者を信じている、
権威信仰者であるかもしれません。

「マスコミ宗教」でも、「権威信仰」でも、
本人が好きで信じたいのであれば、それは構いません。

ただ、ほとんど、
みんな信仰している自覚がありません。

自覚なき信仰は、麻原彰晃を
盲信していたオウム真理教の信者と同じです。

使命に生きるどころが、社会に迷惑をかける人間。

最悪、犯罪者になりかねないのです。

だから、まず、今日の話を受け止めて、
宗教に対する考え方を改めて欲しいと思います。

宗教、信仰は、善悪を超えて、
生きていくために必須なものなのです。

否が応でも、人は何かを信じて生きるのです。

だとしたら、
自分で何を信じるのかを決めることが大切なのです。