こんにちは、木多崇将です。

一般的に、世間では、

「平等は良いことだ」「差別は駄目だ」

と考えられていると思います。

例えば、今、流行りのSDGsでも、

「人や国の不平等を無くそう」

「ジェンダーの平等を実現しよう」

「平和と公正をすべての人に」

と、ダイレクトに
「平等」の目標が掲げられていたりします。

さらに、平等という言葉は使っていなくても、

「すべての人に健康と福祉を」

「エネルギーをみんなに」

「質の高い教育をみんなに」

というように、平等という言葉を、
「すべての人」とか、「みんなに」という言葉に
置き換えていただけだったりとか。

さらに、さらに、

「貧困を無くそう」

「飢餓をゼロに」

いうように、結局、「差別を無くそう」
という意図が入っていたりとか。

とにかく、SDGsの17個の目標の内、
半分近くが、「世界を平等に!」ということを
唱えていると思います。

そして、このSDGsの目標を、
日本人の多くが、違和感なく

「それは良いことだね。実現するべきだね!」

と受け入れていると思います。

だから、「平等思想」というものは、
いわば、日本人の常識となっていると思います。

しかし、僕から言わせてもらうと、
この平等思想こそが、私たちが使命に
生きられない大きな原因の1つになっています。

ここで言う平等思想の定義としては、
ウィキペディアに書かれている以下を
そのまま採用します。

「特定の資格・能力・責任・義務を有する
範疇内の人間たち、もしくは全ての人間(万人)が、
法的・政治的・経済的・社会的に公平・同等に
扱われるようになることを志向する思想」

勘違いして欲しくないので、
先に言っておくんですけど、結論的に、
結局、大事なのは

【平等と不平等のバランス】

です。

僕は、この世の全ては、
陰陽で成り立っていると考えています。

例えば、昼と夜、どちらが良い悪いか
なんて議論は、無駄なことですよね?

昼と夜は、当然、どちらも必要です。

また、睡眠している時、起床している時、
どちらも必要なことですよね?

「寝ていちゃ何もできん!」なんて言っても、
寝なかったら、人間は活動できないどころか、
死んでしまいます。

同様に、平等、不平等も、本来は、
どちらが良い悪いという類の概念ではないのです。

あまりにも不平等な世界であれば、

「平等にしろ!」

と、当たり前に、不満や怒りが出るものです。

ただ、逆に、あまりにも平等な世界だと、

「平等すぎるのも良くないぞ!」

と、弊害を感じるものなのです。

そう、現代社会は、平等のデメリットを、
完全に、無視しきっている。

これは、SDGsで、半分近く、
平等思想の目標が入っていることからも明らかです。

日本人は、
平等思想にどっぷり侵されきっているのです。

今日、あなたが僕の話を聞き終えたら、実は、
平等思想こそが、使命に生きることの邪魔を
していること。

「ああー、そうか。
自分で自分の足を引っ張っていたのか!」

ということが、はっきりとわかるはずです。

「平等なんて、求めている場合じゃない!」

と、ぱっちりと、目が覚めるはずです。

もし、今日の僕の話をなんとなくスルーすると、
あなたの、人生の損失は半端ないです。

例えば、あなたが平等思想に侵されていると?

1:他者を羨ましがり、嫉妬してばかりで、
劣等感まみれの人生になる。

2:誰も、あなたを尊敬してくれない。
慕ってくれない。孤立した、孤独で寂しい人生になる。

3:知性がない、精神性が低い、お金や資産もない。
すべてにおいて、最底辺の人間になる。

4:無気力、自堕落、うつ病的な人になる。
やる気、モチベーションゼロの人生になる。

かなり高い確率で、このようになる可能性があります。

「そんな、おおげさな!」

「そんなことありえない!」

と、あなたは思うかもしれません。

しかし、世の中を見渡してみれば、
もうすでに、多くの日本人が上記に近い状態に
なっていることに気がつくはずです。

今、日本人は、他人に嫉妬ばかりして、
孤立化して、低レベル化して、無気力に
なっている人がかなり多くなっています。

このような駄目な日本人が増えてるのは、

「平等思想」

に強く侵されているからに他ならないのです。

ただ、原因がわかっているのだから、
認識するだけで、簡単に、回避できることなのです。

だから、今日の話は、聞いておかないと、
本当にもったいないです。

ぜひ、このまま最後まで読み続けてください。

では、本題に入っていきます。

繰り返すんですけど、とにかく、現代社会は

「平等こそ正義だ!」「不平等は悪だ!」

ということが、強く大衆に、
浸透しきっているように思います。

だから、例えば、つい最近でも、オリンピックの会長が
女性差別発言をしたことを叩かれて、
辞職に追い込まれたり。

例えば、某メンタリストさんが、生活保護者に対して、
差別的発言をしたとされて、youtubeのチャンネルが
炎上して、謝罪、自粛を、ほぼ強制された
なんてことが起こっています。

これは、世の中で、「差別は絶対悪だ!」と、
思い込んでいる人が相当いるということです。

ただ、この世の中の風潮は、狂っています。

なぜなら、「不平等」「差別」は、
まったく悪ではないからです。

これから、逆説的な話。

平等な社会における4つの大きな弊害に
ついて話をします。

その話の流れの中で、不平等の恩恵についても、
詳しく話していきたいと思います。

では、まず、1つ目の平等思想の弊害について。

それは、

【努力する者、向上する人のやる気を失わせること】

です。

あなたは、

「累進課税」

という税制を知っていますよね?

累進課税制度とは、簡単に言えば、
お金を稼げば稼ぐほど、比例して、たくさんの税金が
取られる制度です。

今、平等思想に侵された日本人は、

「金持ちからたくさん税金取って、
貧乏な人に平等に分配することは正しい!」

と、累進課税制度をポジティブに捉えています。

ただ、多くの人は、この累進課税制度、
自分が貧乏で、税金があまり取られないから、
受け入れられているだけです。

もし、自分がお金持ちになって、
たくさん取られる立場なったら、

「くそ、勝手に、政府が俺の金を強奪しやがった!」

と、みんな、怒るはずなのです。

累進課税制度の一番の問題は、
やる気がある者の、やる気を削ぐことです。

累進課税制度は、頑張ったものに、
罰を与えるようなものだからです。

厳密には、累進課税制度ではないんですけど、
例えば、消費税は、1000万円を超えた途端に、
課税されます。

ビジネスの売上が、999万円だったら課税されず、
1000万円になった途端、課税されるのです。

僕は3年ほど前に、自分のビジネスで、
売上が1009万円でした。

この時、売上が10万多いだけで、
30万円くらいの消費税を払う羽目になったのです。

この時、かなりムカついて、

「あー、もう少し売上が少なければ!」

と思ったのです。

ただ、この考え方、

「もう少し、売上が少なければ・・・」

なんてことを考えるのは、かなり、おかしなことです。

そう、累進課税は、
人間を向上をさせないように仕向けるのです。

累進課税制度が、日本の景気を
停滞させている可能性は、相当高いです。

あなたにしっかりと
覚えておいて欲しいことがあります。

それは

【不平等というのは、頑張ること、
努力することのエネルギー源である】

ということです。

例えば、貧乏な家に生まれたからこそ、
貧乏である、悔しさ、惨めさを経験したからこそ、
それを力に変えて、金持ちになった人は、歴史上、
たくさんいるはずです。

今、多くの日本人が、

「何が何でも金持ちになってやる!」

みたいに考えられないのは、みんなが
ごく平均的な家庭に育ちすぎているためです。

みんなが、それほど収入差がない平等な
家庭で育っているために、向上心を失っているのです。

今、無気力、やる気がない若者が増えている原因も、
社会において、人との差がなくなっているからです。

例えば、今の若者たちも、周りの友達が、
ドンドン起業したりして、年収1000万円とか
バンバン稼いだりしていれば、

「ずるい!俺も、稼ぎたい!」

と、奮起するはずなのです。

しかし、周りの友達たちも、低収入であり、
誰も起業もしないから、やる気が湧いてこないのです。

平等思想に囚われた日本人は、不平等が生み出す
エネルギーの恩恵を受けづらくなっているのです。

では、次に、2つ目の平等思想の弊害について。

それは、

【他人を羨んでばかりの人生になること】

です。

まず、平等思想に取り憑かれていると、

「他人と同じようでなければいけない」

と思い込むようになります。

そして、他人と自分との
些細な違いが気になるようになります。

そして、例えば、

「あの子は、自分よりおっぱいが
ワンカップ大きい!悔しい!」

とか、

「友達の弁当は、
いつもおかずが一品多い。ずるい!」

とか、他人と自分を比較ばかりするようになります。

比較は、今の自分の置かれた状況や立場を、
把握するために必要なことです。

さきほど話したように、年収が高い人がいることを
把握することで、「頑張らなきゃ」という
気持ちが生まれたりします。

ただ、少しでも、やり方を間違えてしまうと、
自分よりも優れた人と、自分を比べてばかり
してしまい、劣等感ばかり感じるようになります。

さらに、最悪の場合、

【他人の足を引っ張ることが生きがいになる】

ことすらあります。

実際、今、世の中で、芸能人の不倫とか、
不祥事を叩いて、炎上させる事件が度々起こります。

それだけ、他人の足を引っ張るのことが、
好きな人が多い証拠です。

こういう人たちは、ものすごく正義面して、
芸能人などを糾弾しています。

しかし、こういう人たちの
原動力は正義感ではありません。

羨望、妬み、恨みなどのネガティブな感情が、
この人たちを動かしているのです。

有名人の不祥事を良い気になって叩くなんてことは、
人間として最も下劣な行為なのです・・・。

「この世は不平等であっていいんだ」

と思えば?

「自分と他人は違っていんだ」

と思えば?

平等思想を手放しさせすれば、そもそも、他人を
過度に、羨ましく思うことなどなくなるのです。

そして、

「自分が自分らしくどう生きるか?」

だけに、フォーカスができるようになるのです。

現代人は、平等思想に侵されているがゆえに、
他人とのちょっとした違いが気になり、
他人ばかりを見て、

「あー、あの人羨ましい!ずるい!」

となっている人が本当に多いです。

あなたは、本当に、よくよく気をつけてください。

平等思想から解放されれば、
かなり使命、天命、運命に生きやすくなるはずです。

では、次に、3つ目の平等思想の弊害について。

それは、

【低レベルでの平均化】

です。

何かを平等にしようとした場合、
上に合わせられません。

必ず、下に合わせることになります。

例えば、公立の小学校の授業など典型的です。

平等に、子どもたちみんなが理解できる授業内容に
しようと思えば、レベルを下げざるを得ません。

高いレベルにすれば、
少数の子供しかついてこれなくなるからです。

ただ、こうやって低い学習レベルにしていれば、
当然、学校では、低レベルな平均的学力を持った
子供しか育ちません。

僕は、自分の子供を、絶対に、普通の公立学校へも、
私立学校へも行かせるつもりがありません。

既存の学校へ行けば、
ほぼ低い学力しか得られないのが確実だからです。

実際、今、日本の子供の学力が
下がってきていると言われています。

それは、学校教育が、
平均思想に侵されているからです。

例えば、過去、江戸時代の学校、寺子屋では、
平等な授業などしていませんでした。

今のように年齢で一律にクラス分けなどしない。

違う年齢の子供たちが一緒に部屋で勉強をする。

勉強ができる子には、意欲がある子どもには、
ドンドン高度なことを教えていたそうなのです。

また、農家の子供には農業を、
商家の子供には商業のことを教えていて、
不平等な授業が当たり前だったのです。

今、平等思想によって、
日本全体の低レベル化が起こっているのです。

以前のメールで、
日本全体の収入が下がっている話をしたと思います。

例として、日本人の初任給の平均が260万円。

スイスはの初任給は、
800万円だという話をしました。

これこそが、低レベルでの平均化です。

日本人は、周りの日本人と比べて
平均かどうかを気にしています。

「あー、俺、平均的な収入だ。まだよかった・・」

と、安心しています。

しかし、もっと広い視野で見れば、
日本全体が没落しているので、
全く安心ではないのです。

低レベルでの平均化は、日本ではかなり深刻です。

例えば、今、日本人は平均的に、
みんな本を読みません。

社会人の、月の平均読書量は2、2冊だそうです。

1冊も、
本を読まない人も38%もいると言われています。

だから、日本人とって、本を
読まないことが普通になっているのです。

だから、日本人、
みんなが揃って無知に、馬鹿になっているのです。

僕は、月に何冊読んでいるかなんて
数えていないんですけど、どれだけ
少なく見積もっても、月10冊は読んでいるはずです。

これは自慢ではまったくありません。

僕は、上を見ているので、

「わしは生涯で3万冊も読んだ」

という人がいるので、
足元にも及ばないと思っています。

いいですか?

平等思想に囚われていると、知性も、精神性も、
収入までもドンドン下がって行きます。

平等は、必ず、
低い位置で合わせるようになるからです。

平等思想とは、日本人全員を、
底辺のダメ人間に合わせる危険な思想なのです。

では、最後、4つ目の平等思想の弊害について。

それは、

【人と人とのつながり、絆を失うこと。
人類が、孤立化、孤独化していくこと】

です。

平等思想が目指す理想社会は、

「人間関係において優劣があってはいけない」

「上下関係など、ない方が良い」

という思想です。

しかし、上下関係がないということは、
人間が、水平に、横並びになって、バラバラに原子化、
孤立化していくことに他なりません。

現代人は、上下関係について。

例えば、料理人の修行における
師匠と弟子のような関係は、もう時代遅れで、
古臭くて、不合理で、必要ないものだと考えている人が
多いように思います。

例えば、ホリエモンは、

「料理人の修行など一切無駄」

と切り捨てます。

しかし、例えば、江戸時代など、丁稚奉公で、
師匠と弟子の関係があるからこそ、上の立場の師匠は、

「はい、技術だけ教えるから、
後は勝手にやってねー」

という料理学校の先生みたいなことは
できませんでした。

弟子のために、住む場所を用意して、
ご飯を食べさせてやったり、礼儀作法教えたり、
失敗したら尻拭いをしてやるなど、色々、
世話をしてやる義務や責任がありました。

上下関係とは、上の者が偉そうに命令ばかりして、
下の者は、自由がなく服従をしなければいけない、
と思い込んでいる人は、あまりに短絡的です。

【上下関係は、人間関係の絆を強くする力がある】

のです。

昔は、上下関係があったからこそ、
師匠は弟子のあれこれ世話を焼く必要があり、
師匠と弟子との関係は、自ずと、強くなりました。

だから、親元を離れた、丁稚奉公の子供が、
孤独で寂しい思いをすることは、ほとんどなかった
はずなのです。

そう、実は、不平等な社会であればあるほど、
人は孤立せず、寂しい思いもせず生きられるのです。

昔の村社会は、ある意味、不平等だったから、
孤独死なんてものは、なかったはずなのです。

現代社会、孤独死が増えているのは、
実は、平等思想が影響しているのです。

「親と子供は、平等!」

なんて、馬鹿なことを考えているから、
子供が親の世話をしなくてもいいなんて
考え方になってしまっているのです。

例えば、ある人に友達がいないのも、
恋人ができないのも、実は、本人のせいではない。

平等思想の影響かもしれないのです・・・。

また、不平等だからこそ、
人と人はうまく協力し会えるという面もあります。

僕は、平等思想を手放すことが、
夫婦関係をうまくいかせるために、
すごく大事だと思っています。

例えば、我が家では、僕が情報ビジネスをして、
野菜を作ってという感じで、お金を稼ぐ仕事、
価値を作る仕事の方に専念しています。

奥さんは、家事と、子育てといった、
家を守る仕事の方に専念しています。

こうやって、違いがある、差がある。

平等ではない仕事しているからこそ、
うまく役割分担ができていると思います。

例えば、僕が「仕事やりたくなーい」
なんて愚痴を言わないのはもちろん。

奥さんも、

「ちょっと皿洗い手伝ってよ」

とか、絶対に口にしません。

家事は、自分の仕事だと思っているからです。

また、子育ての愚痴も1つも言いません。

今、子供が生まれてから1年3ヶ月ほどに
なるんですけど、奥さんは、一度も、
子供を置いて、遊びに出ていません。

しかし、それでも、「別に大丈夫」と言います。

これは、会社員で、共働きの女性には、
なかなか言えないことだと思います。

共働きだと、夫婦ともに、どちらも仕事をして、
どちらも家事をすることになります。

さきほども言ったんですけど、人間平等だと、
どうしても、ちょっとした差が気になるのです。

「いつも、私ばかり皿洗いしているじゃない!」

と、どうしても不満が出てきて、
ケンカに繋がりがちだと思います。

勘違いして欲しくないのは、
今の時代は女性が仕事して、
男性が家事、育児をしてもいいのです。

大事なことは、男性だから、女性だからじゃなく、

【男女で同じ仕事をしない。不平等な仕事をすること】

が大事なのです。

例えば、芸能人夫婦は、お互いがお金を稼ぐ仕事を
しているから、すぐに別れてしまうのです。

人間は、仕事の質が違うからこそ、
役割分担がうまく行き、協力しあえるのです。

共働きの夫婦は、いくらお互いがいたわりあっても、
家事を効率化しようとしても、本質的な解決には
なりません。

以上、平等思想を信じることによる、
4つの弊害について詳しく話をしました。

復習すると、

1:向上心の喪失

2:他人を嫉妬するばかりの人生になる

3:低レベルでの平均化

4:孤立化、孤独化

です。

どうですか?

平等思想には、これだけのデメリットがあるのです。

恐ろしいと思いませんか?

明らかに、これだけのデメリットがあるのに、
「平等であるべきだ」とばかり捉えられる、
今の世の中は、どう考えてもおかしいのです。

もう、いい加減、みんな目を覚まして、

【この世は、不平等、不公平だからこそ、
素晴らしいんだ!】

という面に、気づくべきです。

不平等の素晴らしさを理解するためには、
赤、黄色、青、緑などの色をイメージすることです。

ぜひ、以下のサイトを見てください。

「伝統色のいろは」
→ https://irocore.com/category/red/

日本の伝統色として、赤色だけで
なんと98種類もあることが紹介されています。

赤色1つとっても、
本当に様々なバリエーションがあるのです。

例えば、

「あなたは、紅葉色(もみじいろ)
として生まれてきました。
あなたと同じ色は他に誰もいません。唯一無二です」

と言われたら、嬉しく感じないでしょうか?

一説では、色というものは、
無限に生み出すことができるとも言われています。

だから、実は、そもそもみんな一人一人、
自分だけのオリジナルな色として生まれて来ている
可能性があるのです。

これは僕自身、検証しきれていない、
あくまで仮説だと思って聞いて欲しいんですけど。

生命の始まりは、受精卵に卵割が起こった瞬間から
始まっているという話があります。

例えば、受精卵がパカッと2つに分かれた時に、
人間の魂は宿るということだそうです。

この時、どのような人間の魂が宿るのかは、
その時の場所や日時の影響を受けるそうです。

全く同じ場所で、
全く同じ時間帯に卵割は起こりえません。

だから、
全く同じ人間はいないと言われているそうです。

要するに、まったく同じ人間はいない
という理屈を一応、話したんですけど、
平等思想は、こうやって全く違う人間であり、
全く違う色で生まれてきた可能性が高い、
私たちに対して、

【みんな平等に、真っ黒でなければいけない!】

という思想なのです。

あまりに狂信的な、狂った思想なのです。

例えば、茜色に生まれた子供を、真っ黒に
塗り替えようとしているのが今の教育なのです。

こんなおかしな平等思想が、
世の中に蔓延しているから、私たちは、

「自分は一体、
どのような使命を与えられているのか?」

ということをちゃんと考えられなくなっているのです。

例えば、現代人は、せっかく、
一重という特徴を持って生まれたのに、
似て非なる他人と自分を比較して、

「みんな二重、ずるい!羨ましい!
アイプチ!手術で二重!」

なんて馬鹿なことをしているのです。

あなたが、平等宗教から解放されれば?

「自分と同じ人間はいない!私は、私である」

ということがはっきりとわかれば、それだけで
かなり使命が意識しやすくなるはずです。

そして、日本社会もすごく良くなるはずです。

様々な人間がいて、様々な色が溢れている社会。

ものすごく多様性があり、カラフルできれいで、
楽しい社会になるはずです。

今、

「多様性がある社会を!」

と唱えながら、全く実現する気配がないのは、
平等思想が邪魔をしているのです。

以上で、平等思想の話は一旦終わりにしておきます。

毎度のことながら、感想、質問があれば、
ぜひ送ってください。

→ info@kita-takamasa.com

最後に、もう1つ言っておきたいことがあります。

それは、平等思想に囚われていると、

【自由までをも失ってしまうこと】

です。

「平等は、奴隷への道である」

ということを、フランスの政治哲学者、
トクヴィルという人が言っていたそうです。

現実、今、多くの日本人は、かなり平等思想に
侵されているので奴隷的な生き方、
不自由な生き方になっているのです。

ただ、多くの人は、
不自由である自覚がないと思います。

むしろ、

「いや、それなりに自由だよ」

と、思っていたりしていると思います。

それは、自由への正しい認識がないからです。

自由の認識が間違っているからです。

多くの人がイメージしている自由とは、

「南の島でバカンス」

「嫌な仕事をしない」

「好きなものを飲み食いする」

みたいなところだと思います。

しかし、これは本来の自由の概念とは、
かけ離れているのです。

そして、この自由へ認識欠如もまた、
使命に生きられない大きな原因になっています。

なので、次回は、自由という概念について
掘り下げて話をしたいと思います。

お楽しみに。