こんにちは、木多崇将です。

前回、

「次は、自由思想の弊害について話をする」

と、伝えていたと思います。

ただ、今回、自由思想の話ではなく、
別の話をします。

というのは、もう少しダイレクトに

「おお、使命が見つかりそうだ!」

と、希望を感じられる話が必要だと感じたからです。

繰り返し言っているんですけど、僕は、
現代人が使命が見つからない理由として。

世間を覆っている一般常識と言う名の霧みたいものが、
私たちの視界を遮って、
使命が見つからなくなっている。

固定観念と言う名のノイズみたいなものが、
私たちの耳をふさいで、宇宙から与えられた役割を
聞き取ることができなくなっている、と思っています。

ただ、例えば、

「平等思考が邪魔をしている」

と言う話だけを聞いても、それで、

「おお、これで使命が見つかる」

とは、どうしても、リンクしにくいと思います。

なので、今回は、
使命を見つける具体的な手法の話をします。

もちろん、使命を見つける邪魔を
している思想があるだけではない。

知っておかないと使命が
見つからない思想もいくつかあるのです。

今日は、その中で、使命を見つけるために、
一番大事だと言っても過言ではない。

本来、無料で教えるべきことでないくらい、
とっておきの話をしたいと思います。

極端に言えば、今回の話を聞き終えたら、
使命の話に関しては、僕の話を聞かなくても
大丈夫なほどです。

あなたが、今日の話を聞いて、
本当に実践してくれれば、使命に生きることができる。

最低でも、後悔がない人生を
生きることができるようになります。

それだけではなく、今日の話を実践すると、
様々な付帯メリットを享受できます。

1:情報の波に溺れない、惑わされなくなれる。
自分軸をしっかり持って、迷わない、
ブレない生き方ができるようになる。

2:決断力、判断力が向上する。
正しい判断、正しい決断が即時にできるようになる。

3:柔軟思考、トラブルに対して
フレキシブルな応対ができるようになる。

4:無気力、うつ状態から脱出。
エネルギッシュで、行動力が身につく。

「またまた、おおげさな!」

と思うかもしれないんですけど、
今日の僕の話を本当に実践すれば、
このような恩恵をあなたは得ることができるのです。

逆に言えば、情報におぼれている人、
自分軸がない人、決断力、判断力にかける人、
応用力がない人、無気力な人というのは、
今日話す要素が、決定的にかけているからです。

現代人に、上記のような人が多いと思います。

それは、現代人には、今日これから話すことが、
まったく、頭の片隅にもない人が多いからなのです。

今日は、使命を見つけるために、最も大事な話。

星★★★★★級の話をしたいと思います。

では、本題に入ります。

思い出してください。

あなたは

「最近、いつ死を意識しましたか?」

「最後に、死について考えたのはいつですか?」

なかなか、すぐに、
思い出せない人が多いかもしれません。

現代文明は、死について、
ほとんど触れない社会風潮だと思います。

ゆえに、私たちが、日常的に、
死を意識できない社会環境になっているのです。

私たち、現代人が死を意識できないのは、
色々な理由があると思います。

例えば、政府の

「人生100年時代」

とか、

「老後は2000万円必要だ」

とかいう発表を鵜呑みにして、長生きすることが
当たり前だと思い込んでいるからかもしれません。

例えば、あまりにも充実した社会保障制度があるから。

半身不随になっても、寝たきりになっても、
介護してもらいながら生きられる保障があるから、
守ってもらえるから、死について考えなく
なっているのかもしれません。

例えば、テレビというマスメディアで、
死についてほとんど、取り上げることがないことは、
かなり大きいと思います。

テレビで、死について、取り上げるのは、ニュース
殺人事件と交通事故など事故死くらいのもの。

一昔前の、丹波哲郎さんの大霊界みたいな番組とか。

ほんの少し前まであった、
江原さんのスピリチュアル系の番組すら、
なくなってしまいました。

まして、ゴールデン番組の時間帯に、

「人間にとって死とは?」

「人間はどう死ぬべきか?」

なんてテーマは、
死んでも取り上げられないと思います。

だから、現代人は、日々、死について
意識することなく生きている傾向があると思います。

ただ、これが、現代人にとって使命が
見つからない大きな原因になっていると思います。

なぜなら、

【死に方が決めないことには、
生き方は決まらないから】

です。

まず、私たちが認識しないといけないことは、
人間は誰しもが100%死ぬのです。

人間に、唯一、平等に与えられたもの。

それは、死だけと言っても、過言ではないのです。

人間は誰しもが死ぬ。

だから、私たちは日々、一日ずつ着実に、
死に向かって行っているとも言えます。

だから、

【死というものは言わば、
人生のゴールであり、最終目的地】

なのです。

ゴールの設定がなければ、人は、
どこへ向かえばいいかわかりません。

船での航海で、目的地がなければ、
岸の近くをぐるぐる回るだけの
不毛な航海になりかねません。

「よし、北海道の襟裳岬にへ行くぞ」

と、ゴールを決めれば、
とりあえず、進んでいけるものです。

世間で、

「生きる目的など必要ない」

「人生は暇つぶしにすぎない」

「人間は、ただ生きているだけで素晴らしい」

というような人が本当にたくさんいます。

ただ、僕から見れば、こういう人たちは結局、単純に、
死に方が決まっていないだけのように思います。

例えば、一昔前の日本人は、

「畳の上で、家族に看取られて死にたい」

という死生観を持っている人が多かったと言います。

特別なことはない。

平凡な死生観ではあります。

ただ、昔の人は、本気でこの死生観を持っていたので、
必然的に、人生でやることが決まっていたのです。

例えば、家族に看取ってもらうためには、
自分より長生きする子供が必要です。

だから、子供をたくさん生むのはもちろん。

親は、当然のように、子供に愛情を与えて、
大切に育てました。

また、家族は仲良くするように努めて、もし、
喧嘩しても、修復に務めていたのです。

また、畳の上で死にたいのだから、
住む家も当然、大事にします。

例えば、家をきれいに掃除したり、
修繕をするのはもちろんのこと。

現代人のように、実家を、自分たちの家を、
売り飛ばすなんてことは、発想すらなかったでしょう。

このように、「死に方」が決まってしまえば、
必然的に、

「これをするべき」

「これをしないべき」

ということも決まってくるものなのです。

例えば、「家族に看取られて死にたい」
と本気で思っていれば、簡単に離婚せず、
我慢をするのが道理となるのです。

ちょっと余談ですが、現代人が、もし、

「畳の上で、家族に看取られて死にたい」

という死生観を持ったと仮定したら?

「結婚してから子供を作る」

ではなく、

「子供ができてから結婚する」

ということも、普通に考えられます。

そう、これが、いわゆる柔軟思考につながるのです。

実は、ゴールとか、目的がはっきりしていた方が、
柔軟な思考ができるようになるのです。

目的地さえ決まっていれば、行き方、手段は、
何でもいい、柔軟に変えてもオッケーになるからです。

創造性がない人、応用力がないと
悩んでいる人が結構いると思います。

そういう人たちの、深いところでは、
死に方が決まっていないことが影響している可能性が
あるのです。

話がそれたので、戻します。

要するに、死に方が決まれば、
生き方が決まるという話です。

例えば、僕の例を出します。

僕は、

【真実を追求し続けながら死にたい】

という死生観を立てています。

僕は、自分の興味があること、
問題だと思うことを見つけると、本を読んで、
考察して、試行錯誤して、自分で答えを見つける
ということを、ごく自然に行ってしまいます。

そして、自分なりに見つけた答えを、
インターネット経由で、メルマガや教材によって、
シェアすることで、もう10年以上、
ビジネスとして継続することができています。

僕は、基本的に、今のこの仕事を続けていき、
最終的に、

「おお、ようやく宇宙の真理が解明できたぞ!・・・」

バタッという感じで死ねたら本望だと思っています。

こうやって死生観が決まってしまえば、
僕が、毎日やるべきことも、やらない方がいいことも、
自ずと絞られてきます。

例えば、僕に必要なことは、毎日、
本を読み続けることだったり、一人で
じっくり思考を巡らせる時間を作ることだったり、
自分の考えを文章化すること、だったりします。

逆に、僕がやらない方がいいことは、
テレビなどを見ないことだったり、無教養な
人たちと会って、無駄な雑談をしないことだったり、
ルーティンワークをしないこと
(他人に任せるようにすること)だったりと、
ポンポン出てきます。

死に方が決まれば、生き方も決まってくるのです。

もちろん、この死に方を決めるということは、
そうそう簡単なことではありません。

僕も、この死生観にたどり着くまで、相当、
試行錯誤して考えました。

特に、やはり、邪魔している固定観念を
できる限り取り除かないと、死に方も、
決めきれないように思います。

例えば、幸福思想なんても強く持っていれば、
死に方など絶対に決まりません。

ただ、あなたには、今日から、とりあえず、
死に方について考え始めて欲しいと思います。

なぜなら、

【死について考えているだけで、
生命が躍動してくるようなメリットもあるから】

です。

この話は、正直、理屈を説明するのが
とても難しいんですけど、僕は宇宙には
正のエネルギーと、負のエネルギーがあると
思っています。

正と負のエネルギーがうまくバランス良く、
回転することによって、大きなエネルギーが
生み出されると思っています。

例を出したほうがわかりやすいと思います。

例えば、人間が起きている時が正。

寝ている時は負。

これは、感覚的に納得できると思います。

そして、この起床時と、睡眠の関係においては
もし、正のエネルギーだけ意識して、寝なかったら
人間は、活動できないですよね?

人間はたくさん寝れば寝るほど、
負のエネルギーを多くするほど、
起床時に、活発に行動ができると思います。

もう1つ例を出します。

例えば、人間が満腹時が正。

空腹時を負とした時。

正のエネルギーばっかり取っていたら。

食べ物を食べてばかりいたら、
苦しくなるし、太るし、病気になります。

人間は、むしろ、空腹になればなるほど、
負のエネルギーを多くすればするほどに、
ご飯を美味しく、たくさん食べられて、
元気になると思います。

あなたによく認識しておいて欲しいんですけど、
現代人は、極端に、正のエネルギーだけに
偏っているのです。

【負のエネルギーが足りていない】

のです。

例えば、

「いかにして長生きをするか?」

ばかり考えているから、
死ぬという負のエネルギーが足りていない。

結果的に、
生きるエネルギーが不足しきっているのです。

実は、人間という生き物は、常に死を意識している、
死と隣り合わせ、死に常に直面している位の方が、
生命が生き生きと輝いてくるのです。

僕の実体験を紹介します。

僕はもうかれこれ18年くらい前に、首を痛めて、
めまいという症状がでるようになりました。

視界がフラフラと揺れて、歩くだけでも集中力が
いるような状態になってしまったのです。

めまいになった当初、僕は、当然、
なんとかめまいを完治させようと、
ありとあらゆる治療法を試しまくっていました。

しかし、どんな治療を試しても、
まったくもって効果がない。

完治することは程遠い状態。

治療法を試すほどに、可能性がなくなっていく。

「あれをやってもダメ、これをやってもダメ」

という感じで、
ドンドン希望がなくなっていきました。

そして、お金と同時に、
生きる気力もドンドンなくなって行ったのです。

めまいの治療中、僕は、うつ病とほぼ変わらないほど、
精神的に、すごく病んでいました。

実際、精神科に通って、薬も飲んでいたのです。

僕は、思いつくあらゆる治療法を試しても、
改善の見込みがないので、もう自殺して死のうと
思いました。

実際、その当時、住んでいたマンションの
屋上に登って、

「ここから落ちたら、即死できるかな?」

と考えたりしてました。

しかし、こうやって死ぬことを、
真剣に考えて続けていると、ふと、

「自殺するにも勇気がいるよな・・・
死ぬことは大変なことだ」

「だったら、もう自分は死んだと思って、
これから自分のやりたいことをやりきってから、
それから自殺しても遅くないんじゃないか?」

という考えが浮かんできたのです。

そう、「死んでもいい」と思った瞬間に、
生きる気力というか、エネルギーが瞬間的に、
グワァーっと湧き出てきたのです。

その当時の僕は、
ものすごく程度の低い人間だったので、

「死ぬ前に何をしたいだろう?
そうだ。男として生まれたからには、
女にモテたい。たくさん、セックスしてから死にたい」

「よし、じゃあ、街でナンパ、声掛けをしよう!」

と、思いつきました。

まったく誇れるようなことではないんですけど、
ただ、この時、

「もう絶対にやってやるぞ!」

という覚悟が完璧に決まったのです。

覚悟が決まった瞬間、それまでに感じたことのない
無尽蔵のエネルギーが湧き出てきたことを、
今でも忘れません。

実際、この時の決意、覚悟をきっかけとして、
僕の人生は好転をはじめました。

もちろん、声掛け活動でも、
自分なりに十分な結果を出せたし。

ビジネスで小さな成功ができた原点も、
この時の決意にあると確信しています。

これ以降、僕が、精神的に、感情的に、
長期的に落ちたことは、ほとんどないのです。

それほどの莫大なエネルギーが、

「死んでもいい!」

と、死を覚悟した瞬間に生まれたような経験を、
僕はしています。

どうでしょうか?

あなたも、過去、死を覚悟した瞬間に、
直面した時に、ものすごく大きなエネルギーを
感じた経験がないでしょうか?

例えば、僕と近い経験、大怪我、
大病をきっかけとして、死を覚悟した経験が
ある人がいるかもしれません。

例えば、地震とか、火事とか、交通事故とか、
不慮のトラブルによってとか、死と直面したことが
ある人も多いはずです。

例えば、東日本大震災などで、家も、財産も、
家族もすべてなくして、本来なら絶望すると思いきや?

この絶望時に、もっとも精神的エネルギーが高まった
経験をした人も、実は、たくさんいたはずです。

私たち、現代人は、死から遠ざかって生きすぎています。

【少しでも長生きすることこそが、素晴らしいことだ】

というような、
長寿思想が現代を覆っていると思います。

この長寿思想とは、僕が勝手に作った造語です。

例えば、寝たきりで、流動食しか食べられなくても、
100歳まで生きれば、それは、めでたいことである。

例えば、どれだけ偉業を成し遂げても、
30歳という若さで死んでしまえば、
悲しいことであるというような。

人生の長短で、人間の価値が
決まってしまうような思想が、長寿思想です。

この長寿思考の洗脳を受けてしまって、
私たちは、なるべく危険を避け死なずに、
なるべく健康で、長生きすることが良いことだと、
思い込みすぎています。

しかし、実は、もっともっと死について考えた方が、
莫大なエネルギーが生まれるのです。

現代人にとって、この死が、
大きな盲点になっているはずなのです。

だから、毎日、死を意識するだけ。

「今日、明日、自分は死ぬかもしれない・・・」

と思うだけでも、無気力、憂鬱状態から
抜け出せるようになるはずだと思います。

今すぐ、確実に、無気力を脱出したい人は、
山でサバイバル生活すればいいと思います。

例えば、山でキャンプをして、漆黒の闇。

1メートル先すら
見えない本当の暗闇を体験すれば、

「死ぬ気力すらない・・・」

なんてことは、現代の若者たちも、
絶対に言えないはずなのです。

現代の長寿思想「長生きしたい」なんて思想が、
逆に、生を殺してしまっているのです。

だから、今世の中に、もうゾンビのような顔をしている
老人ばかりになっているのだと思います。

以上、「死に方を決めること」
「死生観を持つこと」の重要性について話をしました。

もし、死に方について迷ったら、
決められないから、昔の人のように、

「畳の上で、家族に見守られて死にたい」

という死生観でも、十分だと思います。

現代人は、
こういう質素な死生観すら持っていないのです。

だから、すぐに離婚してしまったり、
家族メンバーが、てんでバラバラ自分勝手に生きたり、
実家も売り払って、老人ホームで暮らす他なくなって
いるのです。

そして、死ぬ時は、病院のベットの上で、
たくさんのチューブに繋がれて、放置されて、
看護師にすら看取ってもらえず死んでいるような
状態になっているのです。

死生観のない老人のデフォルトの死に方は、
病院での孤独死です。

これは、動物の、家畜の死に方です。

そう、死生観がないと、
人間として死ぬことすらできないのです。

繰り返しますが、人間誰しもが死にます。

僕も、あなたも、もう100年後は生きていません。

私たちは、一日、一日と、
確実に死に向かっているのです。

その死に対して、現代人はまったく考えない。

見て見ぬ振り、遠い未来のことのように捉えています。

はっきり言って異常です。

だから、今日の僕の話をきっかけとして、
毎日、死について思い出すだけでもしてください。

「私は、いつか必ず死ぬ」

ということを、一日一回、必ず思い出してください。

たったこれだけでも、
周りの人と大きな差が生まれるはずです。

使命を見つける大きな一歩になるはずです。

もし、あなたが色々考えて、自分なりの
死に方が決まったら、ぜひ、僕に教えて下さい。

→ info@kita-takamasa.com