こんにちは、木多崇将です。

「あなたの使命の見つけ方(仮)」

の話を続けていきます。

前回までで、多くの人が、自分のやりたいこと、
生きる目的、使命などが見つからない原因は、世間に
広まる雑音(ノイズ)にある、という話をしました。

一般的に、正しい、常識、当たり前だと思われている
価値観の多くが、実は、根本的に、間違っている。

これが、騒音のように私たちの耳をふさぎ、
心の声が聞こえなくなっているという話をしました。

そして、現代人が最も間違って
持っている価値観として幸福思想がある。

「私は幸せになりたい。
どうすれば幸せになれるのか?」

と、考えることこそが、使命が見つからない
大きな原因になっているという話をしました。

「幸せになってはいけない!」

と聞くと、あなたはおそらく

「はぁ?そんなことありえない!」

と、思うはずです。

今日、かなり偉そうなことを言うんですけど、
僕自身も、ほんの2、3年前まで、
幸福思想に取り憑かれていました。

「一生懸命仕事をして、美味しいお酒と、
美味しい晩ご飯を食べることこそが、
人生の生きがいなんだ!」

と、疑いもなく、本気で思い込んでいたのです。

しかし、結論を言っておくと、この幸福思想こそが、
私たちの使命が見つからない本当に大きな原因です。

その理由について、今日はもったいぶらずに、
すべて、詳しく話をします。

あえてお願いするんですけど、今日の話は、
ぜひ、猜疑心むき出しで読んでください。

そして、「木多さん。ここに矛盾がありますよ!」
という点を見つけたら、ぜひメールしてください。

僕の話を鵜呑みにする必要はまったくありません。

あら探しをする気満々で、読んでください。

では、本題に入る前に、
1つ話しておきたいことがあります。

僕は、「使命の見つけ方」
というタイトルにしておきながら、
「やりたいこと」「生きる目的」「生きがい」とか
色々な表現を使っていました。

僕自身の、伝えたい方向性が
しっかり定まっていなかったからです。

ただ、色々考えた結果、
やりたいこと、生きる目的、生きがいなどの表現は、
僕が伝えたい本質からちょっとズレている。

僕が伝えたい方向性に一番ぴったりなのは、
「使命」という表現だと気づきました。

なので、これからは、
「使命」という言葉をメインに使います。

後で、詳しく話すんですけど、使命の意味は、
「与えられた任務」「使者として受けた命令」です。

この定義が一番、しっくり、ぴったり来るからです。

アンケートを読んだりとか、今、
世間の風潮からも、すごく感じるんですけど、

「人間に使命なんてない。
人は生まれてただ死ぬだけ」

このように思い込んでいる人が、なぜか多いです。

こう思い込んでいる人は、まず、

「なぜ、自分がそのように価値観を持ったのか?」

を考えて欲しいです。

人間、オギャーと生まれた時、
何の価値観も持っていません。

「人間に使命なんてない」と思うのは、
誰から植え付けられた価値観なのです。

一体、誰からそのような価値観を植え付けられたのか
一度、考えて欲しいのです。

僕は、「使命なんてない」という
価値観を誰にも植え付けらず大人になりました。

また、自分の頭で、理屈で考えても、
「使命がない」ことの方が確率的にありえないのです。

人間には、与えられた
任務、命令、役割があるはずなのです。

まず、この理由について少し話をします。

まず、生命というものは、
人間が生み出したものではありません。

宇宙が生み出したものです。

人間という生命も、
宇宙が生み出したものですよね?

そして、
人間という生命を生み出した宇宙の存在が
一体何なのかは、僕にはわかりません。

神様なのか、宇宙人なのか、ロボットなのか、
自然現象なのか、はっきりと断定できません。

ただ、

【宇宙に存在する何かしらの存在が、
私たち人間を生み出していることは、
間違いないですよね?】

この存在を、便宜上「創造主」と呼びましょう。

そして、この創造主が作った宇宙には、
一定の秩序があります。

例えば、宇宙にある惑星が、一斉に勝手に動き出せば、
あちこちで、ぶつかりあって、めちゃくちゃになって
宇宙は、成り立ちません。

例えば、太陽がランダムに動いて、
地球に急接近したら?

地球の温度が一気に上がって、
地球上の生き物は、一瞬で絶滅します。

私たちが住んでいる宇宙には、
一定のルールのようなもの、秩序が存在しています。

なぜ秩序があるのかというと、宇宙を作った人がいる。

創造主が、宇宙を作ったからだと思います。

地球がわかりやすいと思うんですけど、
地球は、創造主が作り出したアクアリウムみたいなもの
イメージしてください。

アクアリウムとは、魚をはじめとした水生動物を
人工的に飼育する水槽のことです。

例えば、アクアリウムを人間が作ろうとする時は、

「どこに石を配置するのか?」

「どこに水草を配置するのか?」

「どういう魚を水槽に入れるのか?」

とか、製作者が色々考えて配置すると思います。

例えば、

「この植物を入れたら水がきれいになる」

とか、

「赤い色のグッピーを
入れたら見栄えが良くなる」

とか。

同じように、創造主も、
色々考えて地球を作ったと思います。

何かしらの意図を持って、植物やら、
動物やらを地球上に配置した可能性が高いのです。

もちろん、適当に配置された
可能性も否定はできないんですけど、

「人間には、こういう役割を担って欲しい!」

と、何かしらの役割を
与えられている可能性も否定できないのです。

この話は、
ちょっと強引なこじつけと感じるかもしれません。

ただ、僕は、こういう理屈で、人間には生まれながら
にして、使命があってもおかしくないと考えています。

逆に、

「人間に使命などない。ただ生まれて死ぬだけだ」

と、思っている人に、僕から質問があります。

「私たち、人間が、楽をして生きていると、
虚しくなってくるのは、なぜでしょうか?」

「使命に、命をかけて、
一生懸命生きている人を見ると、輝いて見えて、
羨ましくなってしまうのは、なぜでしょうか?」

こういう気持ちになってしまうのは、
何か、理由があるはずです。

私たちが、自堕落に生きている時、
罪悪感を感じるのは?

それは、

「宇宙から与えられた使命があるからだ」

と、思います。

また、例えば、使命と近い言葉として、
天命、天職、運命、宿命のような言葉があります。

今後、これらの言葉も使うと思うんですけど、
例えば、天職は、英語で「calling」と書きます。

callingは、呼ばれるものという意味です。

つまり、天から、神様からのお告げによって
職は決めるべきだという考えが、昔からあったのです。

やりたいこと、生きがい、生きる目的という表現は、
どこか、

「自分で決める」

というニュアンスを感じます。

しかし、僕は、そもそも

「自分でやりたいことを決める」

ということが、違うように感じています。

理由は、これから色々な面から詳しく話していきます。

とにかく、僕は、人間には、宇宙から与えられた
任務、役割、目的があると考えているので、
使命という言葉をメインに使っていきます。

では、またまた、
前フリが長くなってしまいました・・・。

それでは、本題の
「幸福思想」の話に入っていきたいと思います。

まず、たった今、グーグルで「幸せ」と検索すると、
1ページ目のトップに

【幸せを感じられない人に「欠けている」もの。
幸せの本質を理解している人が最強な理由】

というタイトルの記事が出てきます。

あなたに気づいて欲しいのですが、これは

「幸せになろうとすることは当然だ」

という前提から始まっています。

今日、ここではあまり詳しく話せないんですけど、
「前提を疑う」ということはすごく重要なことです。

なぜなら、

【前提が間違っていると、
その後のことが、すべて間違ってしまうから】

です。

例えば、塩の分量が正しくは10グラムなのに、
100グラムと書いているレシピ選んで、
ペペロンチーノを作ったとします。

この場合、どれだけ忠実にレシピ通り作っても、
しょっぱいペロンチーノが出来上がってしまいます。

同じように、
もし幸せになろうとすること自体が間違いだったら?

人生全部が駄目になってしまうのです。

これから、幸せになろうとしては
いけない4つの理由について話をします。

細かく言えば、もっとたくさんあるんですけど、
今日は、本質的な4つに絞ります。

これから僕が話す話は、あなたの頭の中になかった
視点、切り口、考え方ばかりだと思います。

斬新な話、ユニークな話ばかりなので、
聞いておくだけでも損がないことを約束します。

では、まず、
1つ目の幸せになってはいけない理由について。

それは、

【例外なく、すべてエゴイズム
(利己主義)になってしまうから】

です。

私たち現代人には、「幸福思想」が、
ひよこレベルで刷り込まれています。

だから、
幸せになるために勉強をする。

幸せになるために仕事をする。

幸せになるために結婚をする。

何をするにも幸せになるためにと、
つなげて考えています。

しかし、想像してください。

「私は、幸せな結婚がしたいです!」

「私は、毎日、美味しい料理を
お腹いっぱい食べたいです!」

「私は、できるだけ辛い労働はせず、
ゆとりある生活がしたいです!」

このような発言を、あなた自身ではなく、
他者がこのような発言をしていることを
想像してみてください。

「何、自分勝手なことを言っているんだ?」

と、捉えることができないでしょうか?

そう、現代人が考えている幸せとは、
そのすべてが、実は、単なる利己主義、
単なる欲望に他ならないのです。

なぜ、そもそも現在、「幸せになるべきだよ」
ということが常識となっているのか?

それは、経済を成長させるために、
都合がよかったからだと思います。

大衆に、ドンドン物を消費させる、
無駄遣いを促すために、幸福思想は、
とても便利だったのです。

「自分へのご褒美に、◯◯を買いましょう!」

「自分への最高の思い出として、
豪華な結婚式をあげましょう!」

「家事の負担を楽にするために、
キッチンをリフォームしましょう」

このように、

「あなたはもっともっと幸せになっていい」

という方向性にすれば、
大衆は、ドンドンお金を使ってくれます。

大衆が無駄使いすればするほど、
経済が発展していきます。

だから、現代で、これほどまでに、

「幸福になることは当たり前だ」

という価値観が定着しきったのです。

しかし、現代人が気づかないといけないことは、

【本来、幸せというものは、
自己を完全に切り離して、他者に対して願うもの】

だったのです。

例えば、

「自分の愛する人を幸せにしたいから結婚しよう」

とか、

「自分の愛する子供が、どうか幸せになって欲しい」

という具合に、他者に対してのみ、
適用しても良いことだったのです。

この本来、他人にしか適用してはいけない幸福思想を、
現代人は、自分自身へ適用してしまったのです。

ただ、これはよくよく考えれば、
当たり前のことなんですけど、

【みんなが自分勝手に欲望を満たそうとすれば、
地球の秩序は、めちゃくちゃになる】

のです。

実際、今、

「みんなが自由に好きなものを食べてもいい」

という幸福思想が蔓延しています。

だから、日本だけで、1年間で、
食料の廃棄ロスが620万トンにもなっているのです。

いいですか?

昔の人は、「私は幸せになりたいです」なんて考えは、
すべて利己主義につながると、よくわかっていたのです。

だから、常に、抑制をかけてきたのです。

例えば、まだ、昭和初期には、

「美味しいものを食べたいよー」

と子供が言ったりすれば、

「卑しいことを言うな!」

と、親に怒られていたそうなのです。

例えば、江戸時代は、小さな頃から、
論語を叩き込んで、

「何よりも徳が大事」

と教え込み、
欲望が暴走しないように常に抑制されていたのです。

ヨーロッパでも、基本的にキリスト教、神様を持ち出して、
欲望を抑えるようにされてきたのです。

しかし、現代では、そのタガが外れてしまいました。

【幸せになっていい = 欲望のままに生きていい】

ということを、公然と認める社会になって、
大変なことになってしまっているのです。

幸福思想によって、現代人は、
それぞれがわがままに、自分勝手に欲望を
叶えようとする動物の群れようになって
しまっているのです。

これが、まず、
かなり大きな幸福思想の弊害だと思います。

あなたも、ぜひ、

「エゴイズムじゃない、
利己主義にならない幸福思想はあり得るのか?」

を考えてみてください。

どうやっても、無理なことに気がつくはずです。

「私は、幸福になりたい」

は、全部、エゴイズムなのです・・・。

では、次に2つ目の
幸せになってはいけない理由について。

それは、

【現代人は、もうすでに十分に幸せであるから】

です。

よくよく考えてください。

ほとんどの日本人は、今、毎日、3食以上、
美味しいご飯をお腹いっぱい食べることができます。

冷暖房が完備された部屋で、
ふっくらとした清潔な布団かベットで
心地よく眠ることができます。

もし、怪我や病気になっても、救急車が迎えに来て、
病院へ運んで治療をしてくれます。

周りには、危険な犯罪者やテロリストなどいません。

周りの人は、ニコニコして優しい、善人ばっかりです。

そう、私たちは、超幸せな環境にいるのです。

もう、どう考えても、十分すぎるほど、
幸せな環境にいて、

「さらに、どうやって、幸せになろうかな?」

と思っても、やる気など出ないのが当たり前です。

1億円貯金があるのに、
「2億円の貯金をしよう」と、
強く思えなないのと同じことなのです。

現代人は、特に、

【現代は、物質的豊かさが、絶頂を極めている】

ということを、よくよく認識するべきです。

今、「物欲がないんですよ・・・」という人が多いです。

ただ、現代、特に、若者に物欲が少ない人が多いことは、
当たり前のことなのです。

むしろ、現代において、
まだ「物が欲しいんです」という人は、
頭がちょっとおかしいのです。

もう、現代は、十分すぎるほど、
物質的豊かさを極めているからです。

現代人のほとんどが気づいていない、
忘れているんですけど、戦後しばらくは、
日本には、本当に、物質がなかったのです。

食べ物も、服も、包丁すらも
ないような時代だったのです。

戦争で、銅像を壊してまで
飛行機を作るようなことをしていたからです。

だから、戦後、今から76年前ほど前、
物質的な豊かさというのは、日本人にとって、
夢であり、憧れであり、希望だったのです。

例えば、一昔前は、自動車なんてものは、
単なる物質ではなかったのです。

自動車には、呪物的な、
神がかりな力が宿っていたのです。

例えば、自動車に乗っているだけで、
人から尊敬をされて、女性からモテモテで、
自分のセルフイメージが上がってという感じで。

自動車に乗っていれば、実際に、
人生が良くなったり、向上をしていたのです。

だから、昔の若者は、必死に一生懸命働いて、
食費も削りに削って、なんとかして自動車を
手に入れようとしていたのです。

今の若者には一切わからないと思うんですけど、
上の世代に自動車好きが多いのは、昔の自動車には、
実際、神がかった力が宿っていたからです。

もちろん、現在の自動車には、
もうそのような神がかり的な力は残っていません。

僕が知る限り、一番最後に神がかり的な力が
宿っていた物質は、アイフォンでしょう。

アイフォン以降、神がかり的な力が
宿った物質は出てきていないように思います。

だから、現代人が、
物を欲しくないのは当たり前なのです。

これをしっかり認識しないといけません。

日本人は、もう物質的には、
十分に満たされきっているのです。

では、次に3つ目の
幸せになってはいけない理由について。

それは、

【幸福にだけなることは、そもそも不可能だから】

です。

そう、幸せというものは、
単体で得ることなどできないのです。

この世は、すべて陰陽で成り立っています。

陰と陽は、片方だけでな存在し得ないのです。

陰と陽が両方あることで、存在し得るのです。

例えば、男性と女性の両方があるからこそ、
男性が存在しえます。

もし、女性という存在がなくなれば?

男性という分類も必要なく、
人間という分類のみ片付きます。

そして、男性も、女性もいなくなるのです。

同じように、苦しみがあるから、楽しみがあるのです。

不幸があるからこそ、幸福があるのです。

そう、現代人は、

【不幸があるからこそ、幸福を感じるという、
当たり前のことを忘れている】

のです。

例えば、本来、人間は、毎日、ご飯を
お腹いっぱい食べられるだけで幸せなのです。

現代人が、ご飯を食べて幸せを感じられないのは、

「絶対に、ご飯を食べられる」

という恵まれた環境にあるからです。

もし、サイコロを振って、偶数が出ないと、
ご飯が食べられないという状態になったら?

私たちは、毎日、泣いて喜んで、
ご飯を食べるようになるはずです。

幸福というものは、イメージ的に
海の波のようなものなのです。

波は常に動いていて、
波が砂浜に打ち寄せてきた時が幸福で、
波が引いた時が不幸なのです。

海の波に対して、いくら

「波が打ち寄せている状態を固定化させたい」

と思っても、それは不可能です。

幸せという状態も同じです。

幸せも、決して、固定化したり、
永遠に掴むことなどできないのです。

しかし、現代人は、なんとなく「幸福」という状態が
続くような錯覚をしています。

例えば、

「好きな人と結婚すれば、死ぬまで幸せになれる」

なんてことを考えていたりするのです。

こんな非現実的なことを考えているから、今、
むしろ、結婚して不幸になっている人が多いのです。

では、最後、4つ目の
幸せになってはいけない理由について。

それは、

【使命に命をかけて生きるような、
かっこいい生き方が一切できなくなってしまうから】

です。

そう、私たち、日本人が認識しないといけないこと。

それは、ほんのちょっと前までは、
日本を本気で良くしようと、戦って死んだ日本人が
たくさんいた、ということです。

ここでは、2人だけ取り上げたいと思います。

まず、一人目は、吉田松陰です。

吉田松陰は、明治維新の精神的な指導者です。

吉田松陰は、江戸時代の後期において、

「このままでは、日本が外国(アメリカ)
に支配、占領されるのではないか?」

ということに、強い危機感を抱いていて、
実際に、命をかけた行動をしていた武士です。

例えば、ペリーが乗船していた船に、
たった二人で乗り込んで、説得を
試みようとして捕まったりしています。

吉田松陰は、あまりにも行動力、影響力がありすぎて、
わずか30歳で、打首で死刑になっています。

そして、その30年という人生の大半を、
牢獄にいるか、幽閉状態で過ごしているのです。

それでも、日々、たくさんの本を読んだり、
松下村塾という有名な私塾を立ち上げたした。

その結果、この松下村塾で教えた教え子たちが、
高杉晋作らの下級武士たちが、実際に、
明治維新を成し遂げたのです。

あなたは、どれだけ日本を救いたいと思っても、
その人生の大半を、牢獄暮らしをすることを
受け入れられますか?

30歳で、死刑に処せられる覚悟を持てますか?

幸福思想に侵されている私たちには、
到底不可能なことだと思います。

もう一人、使命に命をかけた人物を紹介します。

それは、三島由紀夫です。

小説家として、有名なので、
名前くらいは誰でも知っていると思います。

三島由紀夫は、戦後、アメリカに敗戦後、
日本的な精神を失っていく日本を、
強く憂いていたそうです。

武士道的な精神を失って、
西洋の物質主義に染まっていく大衆を、
見ていられなかったと言います。

だから、一生懸命、小説を書いて、
日本人の本来の思想を取り戻そうとしていたのです。

さらに、「楯の会」という自衛隊のような
組織も作って、戦おうともしていたのです。

しかし、三島由紀夫が生きていたのは、
戦後の高度経済成長時代の真っ只中。

三島由紀夫の思想は、古臭い、時代遅れとされ、
大衆は、耳を傾けてくれなかったのです。

だから、三島由紀夫は、

「ダメになっていく日本をこれ以上見ていられない」

と思い、決死の覚悟で、自衛隊駐屯地を占拠し、
クーデターを促す演説を行いました。

「日本精神を取り戻したい奴は立ち上がれ!」

と、熱く語ったのです。

しかし、立ち上がる人は、ほとんどいず、
クーデターは失敗。

三島由紀夫は、無念の思いで、
切腹して自決したのです。

すごく簡単に話しているので、
理解しづらいと思うんですけど、どんな理由があれ、
あなたは、切腹をすることができるでしょうか?

今の僕には、まだ絶対に、できる気がしないのです。

三島由紀夫は、45歳。

1970年で死にました。

そう、今から、わずか51年前です。

今から、たった50年前に、
使命のために命をかけて死んだ人がいるんですね?

しかし、現代は、このような生き方をしている人が、
ほとんどいない状況です。

それは、現代人が、強く、強く、洗脳レベルで、
「幸せになりたい」と願いすぎているからだと
思います。

幸福思想は、必ず、自己保身に繋がります。

「幸せになりたい」と思えば、
一番大事なのは、自分の肉体です。

肉体が大事であれば、命を投げ出して
生きることがまったくできなくなります。

苦しいこと、辛いこと、苦悩などを、
全部、避けるようになってしまうのです。

幸福思想が、使命に生きることを、
強く強く邪魔しているのです・・・。

以上、幸せになろうとしては
いけない4つの理由について話をしました。

まとめると、次の4つです。

1:100%エゴイズムになってしまうから
2:日本人は、もうすでに幸せだから、
3:幸せになることなど不可能だから
4:使命に命をかける生き方ができなくなるから

特に、1と4が大事です。

結局、幸福思想は、
利己主義、自己保身になるだけです。

他者のためとか、日本全体とか、宇宙のためとか、
与えられた任務、役割に徹して生きるようなことが
まったくできなくなってしまうのです。

現代人が、映画、ドラマ、漫画の主人公のように、
崇高な夢、憧れ、希望にまっすぐ生きていくような
ことができなくなっているのは?

この邪魔をしているのが、「幸福思想」にあること。

今日、あなたにここに気づいて欲しいと、
強く願っています。

今日、この話を聞いて、すぐに

「はい、わかりました!」

と言える人は、いないでしょう。

僕も、この話を受け入れるだけで、
数ヶ月かかっています。

なので、とりあえず、僕の話を一旦受け止めて、
あなた自身で、少しずつ考察してください。

「幸福思想の良い面、悪い面」

を、考えながら生活してみてください。

もし、矛盾点、疑問点があれば、
ぜひメールしてください。

→ info@kita-takamasa.com

今回のメールに対しての質問のみ、
特別に全部にお答えしたいと思います。

そして、もし、僕の話に納得できたら、
幸福思想を少しずつ手放してください。

まず、大事なことは、

【不幸になっても構わない】

という前提を持とうとすることだと思います。

幸せになりたいと思うことは、結局、すべて欲望です。

ただ、この欲望というものは、
人間は、完全になくすことはできません。

「美味しいご飯を食べたくない」と思うことなど、
人間には不可能です。

ただ、

「美味しいものばかりを食べられなくてもいいんだ」

「不幸になっても構わないんだ」

と、思うことで、はじめて、
バランスが取れるようになると思います。

現代人は、「幸せになるのが当たり前だ」
と強く思い込みすぎているから
欲望にどっぷりまみれてしまっているのです。

巷には、たくさんの自己啓発系の本、
スピリチュアル系の本があります。

それら本の著者たちは、みんな

「幸せになってもいいんだよー」

と、あなたに、優しく語りかけます。

しかし、この優しさこそが、現代人が、本当の意味で、
充実した人生を生きられない根本原因なのです。

いずれ詳しく話すつもりなんですけど、
僕は自分自身の使命が、

「真実の追求」「真実を叫ぶ」

ことにあると思っています。

まさしく、今回のような話を、
みんなにすることこそが、
僕が生きている役割だと思っているのです。

ただ、今日のようなメルマガを書くのは、
本当に頭を使って、疲れるのです。

このメルマガは、構想から入れれば、
丸3日かかっています。

3日間、ウンウン唸って、苦しんで、
かなりの労力をかけて書いているのです。

誰にとっても、使命というものは、鼻歌交じりで、
取り組めるようなものでは一切ないのです。

もし、僕が、自分の幸せだけを考えるなら、
金儲けだけしたいのであれば、
今なら、仮想通貨投資をするだろうと思います。

損得だけ考えれば、仮想通貨投資の方が楽で、
儲かりそうな気がしているのです。

しかし、僕は、

【宇宙から与えられた使命がある】

と信じています。

仮想通貨投資は、絶対に僕の使命ではありえません。

だから、僕は、今後も、この苦しい、厳しい道。

真実の追求&真実を叫ぶという活動を、
続けていくつもりでいます。

メールが、かなり長くなりました。

今回、色々と重要なことを話しました。

ぜひ、このメールは何度か読み直して欲しいです。

そして、繰り返すんですけど、
今日の「幸福思想」について疑問点があれば、
メールしてください。

→ info@kita-takamasa.com

また、感想も待っています。

あなたの感想が、僕の活力です。