こんにちは、木多崇将です。
ある自殺肯定派の青年の
「スピリチュアルの
自殺を否定する意見に納得できないのですが?」
という質問に対して、僕の意見を述べました。
この意見交換のメール内容が、普段、
死のことを考えていない人にとって
非常に興味深い内容になっているのでシェアしたいと思います。
また、奇跡的なシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)
まで起こっているので、ぜひ読んでみてください。
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木多さん、こんにちは、〇〇です。
ご無沙汰しております。
疑問に思ったこと、質問したいことが
ありましたので、メールさせていただきました。
最近、辛いと感じたことがキッカケで、
スピリチュアル系の話に対して、信じる気持ちが高まりました。
辛い出来事の為にすがっているのか、はたまた辛い出来事が
スピリチュアルを信じるための運命や好機だったのか。
どちらか分かりませんが、とりあえず、
7割がた信じている、という感じです。
ただ一つ、腑に落とせない部分があります。
それが本題である「自殺」についてです。
木多さんは度々、
自殺については否定の立場にたっていると思います。
スピリチュアル的な観点から、
自殺後は苦しみが続くとされているのだとか。
しかし、自分としては、「最悪、死ねばいいだけ」
そう考えることで、逆に生きる勇気が湧いてきます。
自分にとって「死」というのは「希望」です。
ですから、自殺を否定する意見には納得できないというか、
本当なのかと疑ってしまいます。(完全に感情論ですが)
ですから、木多さんの自殺についての見解が
今も変わっていないのか、何か思うところがあれば
お聞かせ願いたいです。
例えば、変わらず自殺否定派でしたら、その理由など、
肯定派でしたら、その理由など。
また、もう一つ疑問なのですが、
人生の設計図をあらかじめ自分で描いたというのなら、
自殺者の自殺も人生設計図に組み込まれている、
ということではないのですか。
だとしたら、
自殺を悪だとするのは、おかしいのではないでしょうか。
設計図を描く時点で、添削する必要があるはずです。
それとも全てが設計図通りではなく、
ある程度自由がある、という事なのでしょうか。
その観点の考察もお聞かせ頂けると嬉しいです。
余談ですが、「不安」や「焦り」に伴い、
食欲の減退、発汗、血液循環の促進が起きることは、
強制的なデトックスのような感じで、辛いが、
意外と大事なのではないかと感じました。
ただ、この辛さが曲者で、
「辛さにも理由や価値がある」
というのは
「彼氏は暴力をふるうが、
その分ストレスが発散され、たまに優しい」
と言っているようなものなのではないか、
と思ってしまいます。
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〇〇さん
こんにちは、木多です。
興味深い質問ありがとうございます。
質問にお答えしますね。
>変わらず自殺否定派でしたら、その理由など、
>肯定派でしたら、その理由など。
結論から言えば、僕は相変わらず自殺否定派です。
しかも、最近、精神世界のことをドンドン深堀り
することにより、なおさら自殺否定意見は強くなっています。
理由も細かく言うと、色々ありますが最大の理由は、
【「生きている状態」から「死んだ状態」になった時に
自分の意識が全く変わらないという仮説が有力だ】
と感じるからです。
例えば、極端に言えば、生きている状態から死んでも
意識が変わらないから、「死んだことにすら気づかない」
という人たちが、とてもたくさんいると言われています。
例えば、最近、コロナで通夜とかせず、死んだらいきなり
火葬場で焼かれる人もいるという話があります。
(通夜は、みんなで集まって悲しむ姿を死んだ人に見せる
ことによって「死んだ」ということを気づかせる目的が
あるそうです)
そういう人の場合、「生きている」という意識でいて、
いきなり「火で焼かれてしまう」というような、まさに
地獄のような体験をすることになったりするそうです。
自殺の話からそれるので戻しますが、自殺をする人は
何かしらの苦しみから逃れるために自殺をするものだと
思います。
それが例えば、「借金」などの物質的負担から逃れるとか
「病気の痛み」などの肉体的苦痛から逃れるためで
あれば、意味があるかもしれません。
しかし、人に裏切られたなどの精神的苦痛から逃れる
ために自殺をしたら最悪です。
「裏切られた、ちくしょー」とか、「悲しい・・・」
みたいな感情は、死後、そのまま引き継ぐ可能性があるからです。
スピリチュアルの話を探求すれば、死後、意識は
そのままであるという人がほとんどです。
多くの人が一斉に嘘を付く訳が無いと思うし、意識に
関して「死んだら無になる」みたいな話で根拠ある説もないので、
僕は、「死後も自分が自分だと感じている意識は永遠」が真実だと
現時点で捉えています。
まとめると、僕が自殺に否定的なのは、死んでも精神的苦痛から
解放されるどころか、より苦痛を受ける可能性があるからです。
>自分としては、「最悪、死ねばいいだけ」
>そう考えることで、逆に生きる勇気が湧いてきます。
なぜ、こう思うのかの
〇〇さんの詳細な意見を聞いてみたいですね。
ただ、実は、僕も死ぬことを意識した方が希望が湧いてきますよ。
僕の場合は、「自分の意識は死後も続く」という思いがあって、
死を1つの通過点くらいに捉える状態になっているからです。
また、
「じゃあ、この短い地球上の人生で、今何をするべきなのか?」
ということを思い出させてくれたりもするからです。
>人生の設計図をあらかじめ自分で描いたというのなら、
>自殺者の自殺も人生設計図に組み込まれている、
スピリチュアルの色々な人の意見をまとめてみると、
確かに、みんな人生の設計図を描いているみたいです。
しかし、その設計図は曖昧というか、
かなり自由度も高いそうなのです。
ドラクエみたいなゲームと同じで「悪を倒す」というような
大筋は決まっていますが、別に「カジノに入り浸っても
構わない」というようなゆるさがあるみたいです。
だから、自殺するという自由も許されているんですけど、
それが良いか悪いかと言われれば、僕は良くないことだと
思います。
本来の「悪を倒す」という目的を忘れているからです。
>「不安」や「焦り」に伴い、
>食欲の減退、発汗、血液循環の促進が起きる
>ことは、強制的なデトックスのような感じで、
>辛いが、意外と大事なのではないかと感じました。
これ、素晴らしい考察で、
そのとおりだと僕も思いますよ。
こういうことを考えすらすらしない人が多いので
すごいと思います。
もし、回答について、疑問質問があれば遠慮なくしてください。
それでは、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
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木多さん、ご返信、ありがとうございます。
お返事に対する疑問、質問の前に、
さきほどあった出来事をお話しようかと思いました。
先程、つい一時間前くらいにヨルシカというバンドの
「晴る」
という曲のMVがYoutube上にあがりました。
自分が見た時は20分前くらいにあがった、と表示されてました。
自分はヨルシカが好きなので、見ました。
MVの内容は
【自分が死んでいることに気が付かない父親】
の話でした。
(もしかしたら解釈次第の部分もあるかもしれません。
是非ご覧になってください。
以下の点で父親は死んでいると思いました。
・子供の態度
・水たまりに映らない影
・被っているはずの帽子
・冒頭と後半で同じ場面なのに、
父親がいるバージョンといないバージョンで映される
ちょっと怖いくらいの偶然だと思いました。
シンクロニシティ、意味のある偶然。
やはり、意識してみるとかなりあるかもしれないですね。
自分は一度信じると信じきってしまうきらいがあるので、
完全に信じきるのを恐れているところがありますが、
信じそうです笑。
以下、木多さんからのご質問、ありがとうございます。
>自分としては、「最悪、死ねばいいだけ」
>そう考えることで、逆に生きる勇気が湧いてきます。
>なぜ、こう思うのかの
>〇〇さんの詳細な意見を聞いてみたいですね。
詳細に語れるかわかりません。
とかいうか、かなり単純な理由です。
単純に、どれだけ精神的、
肉体的に辛くても、本当にダメだと思ったら。
「ギブアップ(自殺)」
と言ったら許してもらえる。もう痛くない、
と思うと気が楽ということです。
例えばお化け屋敷に入るのに、
「屋敷の途中で緊急脱出口があります」
と言われれば、
「怖すぎたら、そこから出ればいいだけ。」
と思えるので、お化け屋敷に入っていく気になります。
大胆になれます。
勇気が湧きます。
許容できる恐怖、しんど過ぎると思う苦痛が、
例えば10だとしたら、
入ってみて、
「9だ!ヤバい!」
と思ったら脱出すればいい。という安心感です。
逆に、お化け屋敷に緊急脱出口がなければ、
「11の恐怖があったらどうすんだ。
キャパオーバーじゃないか、嫌だ」
と、お化け屋敷に入る気になりません。
怖気づいてしまいます。
動けなくなります。
許容の10を超える怖さに対する保険がないので、
入っていくのが怖いです。
「死ねば助かる。」
脱出口があることで、人生のお化け屋敷である、
怖い事、辛い事、苦しい事に対し、逃げ腰になったり、
目を背けったり動けなくならずに済む。
逆にその保険がなければ(たとえ、そもそも逃げ場がなくても)
逃げ腰、目を背けることになります。
(もしかしたら追いつめられすぎた鼠は、
猫を噛むものかもしれませんが)
自殺でなく、自然死を希望と思うのも、似たような理由です。
苦しい人生も、いつかは終わるのだと思うと嬉しいです。
少なくとも、無限の苦難を抱える必要はないのだと思えるのです。
セーフティネットがあれば起業する勇気もわく、みたいな感じです。
持久走にゴールがない、終わりがないと知らされたらキツイ。
逆に、
「もうすぐゴール(死ねる)よ」
と言われたら嬉しい。
という感覚だと思います。
以上です。
質問の答えになっているか不安です。
正直自分にとっては当たり前の感覚だし、
割と全人類共通くらいの感覚だと思っていましたが、
木多さんは、思い当たらないでしょうか。
そして、やっと本題?の疑問、質問なのですが、
木多さんはたびたび、
「スピリチュアルの多くの人が言っている」
「全員が嘘をついているとは思えない」
「別の説の根拠もない」
「だから、現時点では、この仮説が正しいと考えている」
という風におっしゃいます。
ただ、自分は、皆が嘘を
ついている可能性について考えてしまいます。
例えば、スピリチュアル界隈という物があったとして、
トップの人が
「明日、とうもろこしが空から降ってくる」
と言って、
トップダウンの形で下へ、もしくは横のつながりで、
噂のような感じで広がり、
「なるほど、トウモロコシが降るのか、、」
と広がったり影響しあう場合。
全員が嘘をついているというか、正確には全員が間違う、
可能性があるのではないかと思いました。
その可能性についてはどう思われますか。
またこれは、スピリチュアル系の人の間で親交や、
なんらかの繋がりがある前提なので、
無い場合は、この説は弱いですね木多さんの言う、
「沢山のスピリチュアル系の人達」
は、少なくとも表面的には、何のつながりもないのですか?
また内的思考メインの木多さんは、
余り人に影響される事が無いかもしれませんが、
人間、特に重要な選択、恐怖を伴う事に関して、
意外と周りや立場が上の人の影響を受けてしまうと思います。
また、スピリチュアル系の人達は、
情報源が似ている可能性も考えます。
そしてその情報源は適当に作られた、
遊びで作られた物かもしれない。
実際、過去に2chの人達が悪ふざけで、
存在しない大学のHPをつくり、それに騙される人がいて、
問題になりました。
とりあえず以上です。
上記の可能性などについて、お話伺いたいです。
お返事いただいたこと、読んでいただいたこと、嬉しいです。
ありがとうございます。
失礼いたします。
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〇〇さん
こんにちは、木多です。
ヨルシカの動画は、まさしくシンクロニシティですね。
こういう偶然性が、スピリチュアルの面白いところで
僕が、現実的な生き方よりワクワク感を感じるところですね。
ちなみにですが、MVは涙してしまいましたね。
また、死に希望を感じることに対しての質問にも
真剣に答えてくれてありがとうございます。
一意見として参考になります。
>全員が嘘をついているというか、正確には全員が
>間違う、可能性があるのではないかと思いました。
この疑問についてですが、出元が全部一緒で
みんなが間違ってしまう可能性もあると思います。
例えば、一部トップスピリチュアルカウンセラーと
その信者みたいな人たちが、〇〇さんの指摘する
構図になっていると思います。
ただ、霊的な体験みたいなものは個人が主観的に
経験するものであり、その直接的な体験などによって
「私はこう思う」という人も多いです。
例えば、「体外離脱してスピリチュアルで言われている
自分自身の内なる神の存在エネルギーを感じた」
というように自己の体験として語っている人など。
こういう霊的体験は、伝聞ではないので出元が嘘で、
嘘が広がるということはないのかなと思います。
最後に〇〇さんはスピリチュアルを
「信じるか?信じないか?」
という基準を持っているみたいですが、僕は、
「面白いか、面白くないか?」
みたいな基準で捉えています。
これからの生き方として
「現実主義でお金儲けするかどうかで生きるか?」
よりも、
「精神世界で霊的能力、超能力開発するかどうか?」
で考えてみると、どう考えても、後者の方が楽しそうだから、
スピリチュアルを探求しているという感じです。
〇〇さんも、間違いなくスピリチュアルに
素養がある人だと思うのでこちら側で楽しんで生きる方を、
僕は個人的にもおすすめしますね。
それでは、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
追伸:
メールのやり取りを読んで、あなたはどう感じましたか?
僕的には、
「スピリチュアル(死後世界、霊的世界)
を信じるも信じないもあなた次第です」
みたいな時代は、もう終わっていると思います。
「もう、真実であり、実在なんだから、探求するのが当たり前」
という感覚へ移行しています。
移行する気すらない人に対しては、厳しく言うと、
「情報弱者」「時代遅れ」だとすら思っています。
特に、最近、僕は、
【生の世界と死の世界は、2つで1セットだ】
と強く思っています。
自転車は両輪があってこそスムーズに進めますよね?
片輪だけだとまともに進めないですよね?
実は、私たち人間は、今の生きている生の世界と
死後の世界をどちらもきちんと意識すること。
勉強したり、探求、追求することでこそ、
私たちは本来的なすべての才能やエネルギーを
発揮できるようになっているのです。
しかし、本当の多くの人たちが、
「死んだら無になる」
「死のことなど考えても怖くなるだけだから考えない」
と死を無視して生きているのです。
僕は、現代のいわゆる「死のタブー化」
みたいなものは意図的に作られた風潮に感じます。
あなたが真の才能を発揮して生きないようにするために・・・。
あなたは自分の才能が「死の無知」のために
封印されている可能性があるとしたら
なんとかしたいと思いませんか?
死後の世界(霊的世界)に関する知識は、
あなたの眠った才能、超能力、霊能力さえ
解放させる可能性があります。
その大切な知識を、
「死レボリューション」
という僕の教材で、
近日中に公開する予定なので楽しみにしていてください。